心の底にあったわかって欲しいという気持ち

私は、今年の2月。
付き合っていた人と別れた。

今だからこそわかったことがある。

私は、発達障害であると付き合う前に伝えた。
「そんなの関係ないよ。」と返してくれたのだ。
その人も、特殊な事情を抱えていたので、
理解してくれると勘違いしてた。

そう、それは勘違いだった。
私の甘えにすぎなかったのだ。

付き合い始めてから、
私が努力しても出来なかったこと。
ソレに対して、「努力しようね。」と
何回も言ってきた。

私は、言われるたびに。
結局は、私のコト。
発達障害のコト。

勉強する気もなければ、理解する気もなかったんだ。

そのくせ、自分の特殊なコトに関しては、
勉強するように仕向けてきた。
そして、彼氏は、自分の当たり前は、
他の人にとっても普通のコトで当たり前だと勘違いしていた。

結局、彼氏は、
自分のことを理解してくれる人なら
だれでもよかったんだ。

もう、どんどん、どんどん気持ちが追い込まれていった。

ここまでくると、
身近にいる人が誰も理解してくれない。
なので、他の人も理解してくれない。

そう、誰も信じなくなり。
どんどん人が怖くなっていった。

今思えば、この頃が一番。
もう、この人と一緒にやっていけない。
もう、ココではやっていけない。
もう、人とうまくやっていけない。

ちょっとしたことで、人をシャットアウトした。

今思えば、
やれないことをやれと言われたのが嫌だったのではなく、
努力しても、努力していないと言われた過去。
それを思い出して、精神的に錯乱しちゃったんだろう。

発達障害の人の出来ないは、
努力しても出来ないことが多いこと。
得意か不得意ではなく、出来るかできないか。

そして、昔から努力という言葉に対して
嫌な思いをしてきたこと。

冷静に伝えられたら、
また展開は違っていたのかもしれない。

そして。
たとえ両親であっても、私のコトを理解するのは無理。

両親が何かをして、私が傷ついたとしても。
私が傷ついたと両親はわかならない。
私と両親の感情は、一緒ではないのだ。
別々のモノなのだ。

理解してもらうというのは、なくなった。
私と両親の感情は違うのだ。
それを意識したとたん、
両親との間になにがあっても気にはならなくなった。

そうやって、うつ病からも快復してきたのだった。

そう思えば、付き合っているからといって
相手のコトを全部理解するのは無理だし、
相手も自分のコトを完全に理解するのは無理。

理解してもらおうとして、
付き合ったのが間違いの始まりだったのだろう。

結局は、別れた後。
彼氏がいなくなった私は、他の人と接する機会が増えた。
そうすると、私のコトを見守ってくれてた人。
意外と多かったことに気づき。

私が勝手に、周りから嫌われている。
周りの人を敵だと思い込んでいた。
そうわかったとたん、心が穏やかになった。
周りに対して、怒りがぐ~んと減った。

怒ったことによる自己嫌悪も減り。
こんな穏やかな日が訪れてよかった。

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